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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

通り雨 2

通り雨 2

       破の急

 下津井から帰りやした孫一郎の元え坂太郎が飛んで来やして、

「首尾はいかがでございました」と尋ねやした。

「うん。私に総てを・・・」

「そうでございますか。・・・今のところ、百五十名は隊長と共に行動すると申しております」坂太郎はにんまり笑っていいやした。

「そうか、百五十名がのう」孫一郎は眸を遠くへ投げやした。眼の下には遠くに瀬戸内の海が望め、その海が緑の帯を流したように見え、時たま金糸銀糸のように輝きやした。暖かくなりかけた春の風が、潮の香を孫一郎と坂太郎の立つ石城山の砲台へと運んで来ていやした。耐えて春を待った冬芽が一斉に芽をふき、陽光を浴びて全山が萌えているようでやした。孫一郎は樹の匂いと潮の香を胸一杯に満たしやした。その時、孫一郎の胸の裏に浮かびやしたのは、幼気ない三人の子供の顔であり、慕って尽くしてくれた妻のけいの顔でありやした。事を起こしたしかる後はどうなるであろうという心配が過ぎりやした。もう会えぬかも知れぬ、何を未練な、今生の別れはして来たではないか。孫一郎は悩みが、心配が打ち寄せるのを打ち払うように首を振りやした。

 坂太郎は、孫一郎の肩を落としている後ろ姿に、

「やりましょう。そのように決定されたのなら尚更です。もう隊士達もその気です」と孫一郎の心を揺すぶりやした。

ー時代が代われば、事に成功すればどうにか道は開かれる。否、是非とも開かねばならないのだ。小さな情愛を捨て、大きな望みを勝ち取るためには。時代の流れが必要としているならば、それが世の為人の為ならばー

 孫一郎の心の中にありやす肉親への感情は未練の糸を引いておりやした。

「やるしかないか!」孫一郎は口から言葉が漏れやした。肩幅の広いがっしりとした躰が、何故か小さく見えやした。その後ろで、坂太郎が薄い唇を開けて白い歯を見せていやした。

 それからと言うもの、坂太郎は隊士達に火を付けて回りやした。つかない奴には油を注ぎやした。それは、金品であつたり、女であつたり、又、脇差しであつたりしやした。

 四月五日の夜、朧月が出ていやした。

「山口政庁に、このままこの地で幕兵を待つより、討つて出ることの陳情に行かせてください」坂太郎は、書記の楢崎剛十郎に詰め寄っていやした。孫一郎は腕組をしてじっと冥黙していやした。

 その頃、長州は幕府に対して恭順の意を著し時を稼せいでやした。藩の重役達の意見が整わなくて揉めていやした。が、軍備の増強はその裏で確り出来上がりつつありやした。「時機が早い!」楢崎はしゃくれた顎を横に振り、話にならんとつっぱねやした。

「今、事を起こさなくては百年の後に悔いを残すことになりましょうぞ。我々がここで兵を挙げ、蛤御門の変の汚名を雪がなくては他藩の笑い者となりましょう」坂太郎は納納と説明するように喋りやした。

「否、時機が早い」楢崎は柳に風と聞こうとしやせんでやした。

「そうだ、櫛部何を血迷うたことを・・・」小隊長の有田隆茂も楢崎に同調しやした。原田新介は楊子を口にくわえて笑っていやした。

「京、大坂で勤皇の同士や、長州藩士がどのような目に会っているかご存じですか。新撰組に付け回され、逃げ惑い、斬り殺されているのが現状ですぞ」

「逃げて帰ったのはそこで考え事をしている立石隊長ではありませんか」新介が口を挟そえやした。孫一郎は、頬を少し緩めて頷きやした。

「倉敷川の川縁に根を張る柳が風にしなるように生きたあなたは根っからの商人ですね。、強い・・・、恐ええ・・・」新介はおどけたように肩をそびやかて言いやした。

「あんたは黙っていてください、喧しい」坂太郎の言葉は静かでありやしたが気魄が籠もっておりやした。そして、脇差しの手をかけやした。

「わかつた、わかつたよ。命が惜しいからよ」新介の腕なら幾ら坂太郎が死力を尽くしても相手にはならぬだろうと思っていた孫一郎は、意外にあっさりと引下がった新介を見て、ほっと胸を撫でおろしやした。そして、坂太郎の青く色を変えた顔をみつめやした。

「さあて、どのように見られます」と坂太郎は前に詰めよりやした。その坂太郎の足が僅かに震えておりやした。楢崎は一歩しざりやして、

「それは、だが、今はじっと我慢して、万を期して一気にと高杉・・・」しどろもどろに答えやした。

「高杉先生と藩の重役の考えは一つではありますまい。それを一つにするには行動を起こすしかありません。つまり事実を造ることしかないのです」

「高杉殿は今、重役の方々を説得されておる最中、その労をきさまらは徒労にしようと言うのか」楢崎は孫一郎の方に視線をやり救いを求めやした。おまえの部下ではないかどうにかしろと言っている様でやした。孫一郎はじっと黙り扱くっていやした。

 風が出たのでやしょうか、石城の樹樹を揺らし始めていやした。その音は次第に大地の下から押し上げて来る地鳴りのような音に変わってゆきやした。

 書院内には第二奇兵隊の、分、小隊長数人が楢崎と坂太郎の遣取を口の中を空からにしやして唾を飲み込みながら見守っていやした。

 二人の鑓とりは、だんだんと足の方から膝に腰に腹に胸に首にと上がって来やして、口と目と頭が熱くなつていやした。行き交う言葉の上に卵を乗せれば、忽ち茹卵になる程の熱さでやし、目は和紙を焦がすほどの光を放ち、頭の上に濡れた手拭を乗せればすぐ乾くほどでやした。そんな二人の姿を、隊長である孫一郎は壁に凭れて聞いているのかいないのかといった態度でやした。坂太郎は白眉な表情の中に頬笑みを浮かべやして楢崎を見ていやした。それに、新介がこれも何を考えているのか分からぬ表情で天井を眺めていやした。

「楢崎さん!あなたは知らぬ振りをしていてください。私達が事を起こそうとする原因には、あなたがた藩士の人を見下す姿勢にもあるんです。同じ志を抱いているのに・・・それでは余りにも隊士達が可哀そうです。隊士達は、今か今かと結論が出るのを待っているのです」

「このわしに目をつむれと言うのか。部下が脱送するのを黙って見送れと言うのか」

「そうです」

「きさまは立石に唆され、立石は己の恨みを果たさんが為に、隊士達を利用しょうとしているのがわからんのか。そのために・・・」

「断じてそうではありません。汗をかき血を流して訓練を積んでいるのは志に燃えたこの地の名もない若者と、平和と自由と平等を勝ち取ろうとする全国から集まった同士達です。藩士の方々は遊び呆けて訓練にも出ない、夜な夜な山を下りて酒を食らい女にうつつをぬかしているではありませんか。それに、今日の大事は、小、分隊長は薄々気付いていた筈、それなのに山を下りてここには数人しかおりません。・・・私達は世の中を変えようとして参加したのであって、長州の天下取りのための応援に来たのではありません」

 坂太郎は、ごくりと唾をのみこみやして、

「隊士達も、純粋な気持ちです」と言い放ちやした。

「う・・・う・・・う・・・」楢崎は怒りで頭に血が上り声が出やせんでした。なにか言わなくてはならないと考えやすと、余計に言葉が喉につかえて出てきやせんでやした。

「で・・・き・・・ぬ。後で・・・どの・・ように・・・」

「だから、立石孫一郎がひとりで・・・。書記は何も知らなんだと言う事に」 

 孫一郎はここで楢崎にはじめて口を開きやした。

「出来ぬ、出来る訳がない。第二奇兵隊を預かる軍監がおられぬ留守に・・・」楢崎の顔は焼いた火箸のように変わり、怒りが頭上で炎のように揺れ、言葉には火の粉が含まれておりやした。

「この地は南を守る要の場、そこの兵が脱走したと知ったら芸州口の幕軍が・・・」

「今まで、一日一日が過ぎればめでたいと考えていた幕兵がいざという時どれ程の力が発揮できましょう」坂太郎は、楢崎の先を急ぐ言葉を横からひょいと受けて皮肉を込めて言いやした。

「蛤御門の時はどうであった」

「あれは薩摩と会津、蒔田が相手でした」

 ああではないこうではないと、この問答は一昼夜を費やしやした。が、その問答がまだまだ続くかに見えた矢の先、短い緒を切ったのは楢崎でやした。

「ええい!ああ言えばこう言う、こう言えばああ言い返す。皆の者、乱心の立石、櫛部を捕らえよ」楢崎は絞り出すような声で叫びやした。

 その叫びにぴくりと身を動かせて反応しやしたのは有田で、刀の柄に手をかけ孫一郎に近ずこうといたしやした。その前に素早く坂太郎が立ちはだがりながら、小、分隊長へ鋭い視線をぶつけやした。

「これはおもしれえ。俺も脱走させて貰うぜ。隊則の身分のとひち面倒くせい事に飽き飽きしていたところだったんだ。・・・それにしても櫛部さん、あんたにゃあかなわねえ」新介は身振りを大袈裟にして喋りやした。

「なに!」頭へ抜けるような声で叫びやした。 

「おっと、そう頭に来なさんな。あんたを尊敬してるんでさあ」新介は優しく坂太郎に言葉を投げて、やおら眼線を孫一郎に向けやした。

「それだけでいいのか!」孫一郎は坂太郎に優しく声を発し、そして、楢崎に向かって、「どうやら話が尽きたようです、」と静かに言ってくるりと背を向け外へ出やした。その後を楢崎は頭から湯げを立てながら、大きな身体を揺すって追いやした。今にも腰の大刀に手を掛けん劍幕でやした。篝火の明かりの中に、百数十名の隊士達が蹲っていやしたが、孫一郎が出てきやしたので一斉に立ち上がりやした。

「皆の者、立石を捕らえよ」楢崎が叫びやしたが、その絶叫は夜空に輝く月に向かって吠えるごとく響き渡りやしたが、誰一人として応える者がない空しいものでやした。

「皆の者、よく聞け。立石の扇動に乗ってはならん。立石は私恨の為その方等を利用しょうとしているんたぞ。お前達は高杉先生の意に反した行動を取ろうとしておるのだぞ。逆賊になるのだぞ。それを承知で脱走しょうと言うのか」

 楢崎は熊のようにうろうろと歩きながら大声を張り上げやした。が、隊士達はその声をどこ吹く風と聞き流しやした。日頃から威張りちらかす楢崎を快く思っていなかつたからでやした。

 楢崎は立石と櫛部に不穏の動きがあることを察知して直属の部下を仁王門に配置させていやしたので、その方へ走ろうとしやした。

「櫛部!そこを退け」楢崎の前に、坂太郎が軽い身のこなしで立ちはだかりやした。

「櫛部!今からでも遅くはない考え直せ」

「そのことは・・・。上役のご機嫌ばかり取り部下の苦しみに気付かなかった、あなたの狭量が・・・。そして、藩士の悪事には目を瞶った片手落ち・・・書記の行動にも目の余る事が多過ぎましたからね」坂太郎は笑顔で言いやした。

 その時、新介が有田を担いで出てきやした。

「立石さんよ、この野郎がじたばたするもんで、おとなしくしてもらいましたぜ」

 新介はそう言って、有田を近くの松の木にくくりつけ猿轡を噛ませ、書院の前に立ちやした。中には未だ数名の小、分隊長がおりやしたが、物音一つ立てやせんでやした。

「楢崎さん、見逃してください。この流れはもう止められません」孫一郎は哀しい眸をて言いやした。

「わしを斬れ。斬れるものなら斬ってみろ。わしを斬って進め」楢崎はそう叫びやして、孫一郎の前に両の手を広げて立ちはだかりやした。

「お許しください」坂太郎が飛び込んでいき楢崎の胸を斬っていやした。それから坂太郎はにこにこと笑いながら、その楢崎の首を胴から斬り離し、松の切り株の上に置やした。 その場で、小柄で痩せた十六歳の引頭兵助が孫一郎の淋しさを堪えた横顔をじっと見詰めていやした。兵助はいつも孫一郎について歩く男でやした。今日のような孫一郎を未だ嘗て見た事が無かったと思いやした。本当はこの事に賛成ではないのではないのかと思いやした。兵助は泣いていやした。

「参るぞ!」坂太郎は大きな声で号令を掛けやした。百数十名の隊士達は、

「おーう」と応え一斉に一歩前に出やした。





        急の序



 成羽藩の港、連島西之浦角浜に着きやしたのは四月九日の午後四時頃でやした。孫一郎の双眸は眠そうでやした。心配そうに見守る兵助の優しい瞳もありやした。新介はここぞとばかりやたら張り切っていやした。角浜には遊廓があり、新介の馴染みの妓女が何人もおりやして地の利を得た所だけに、食事の手配、戦の準備、荷駄を引っ張り押し担ぐ人夫の調達やら、その他細々とした雑用を手際よくこなしていやした。白木綿を買って来てそれを適当に切り、目印の鉢巻きにと隊士達に渡していやした。

 孫一郎は隊士達を分散させて船旅の疲れを癒させるために休息を与えやした。それに、昼間から軍備を整えた百数十名が一緒にいては目立ち過ぎると言う懸念があってのことでやした。夜を待とうと言う考えでやした。

「新介、代官が下津井屋をやったと言うのは本当か」孫一郎は念を押すように言いやした。新介は曖昧に笑いを殺しやして、

「そんな怖い顔をしなさんな、もう済んだ事ではねえですかい・・・今では。俺も、桜井に倉敷を追われ、立石さんと同じ憎い相手でさぁ」と眼を輝かせて言いやした。

「そうだ済んだことだった。そして、始まる事かもしれんな」と言いやした。

 人夫達に荷を担がせ、荷車を引っ張らせ押させて、隊士達が一団となって行動を開始しやしたのは真夜中でやした。先頭に立つ新介の提灯の明かりが左右に揺れていやした。隊士達は黙々とその後に続きやした。江長から天井川の東高梁川を渡りやすと、五軒屋の土手に出やす。土手を登りやすとそこからこんもりと黒ずんだ足高山が見え、その向こうに目標の鶴形山の麓にありやす代官所が漆黒の中に見えやした。孫一郎は懐かしさの為に目頭が熱くなり、胸が締め付けられるようでありやした。あの倉敷にはけいがいる、そして、可愛い三人の子供達がいる。代官所を襲撃するとどうなる。だが、もう後には引けぬのだ、桜井を討つより手はないのだと自らに言い聞かせやした。孫一郎のそばに兵助が従い見守っていやした。大きな肩が小刻みに揺れ心の有様を物語っているようでやした。

 四月十日、午前三時。孫一郎率いる元第二奇兵隊士達は備中倉敷代官所に雪崩込みやした。俗に言うところの倉敷騒動でありやすよ。代官所は北を鶴形山、東を向山にし、南を船頭町、西を倉敷川で守り。周囲を二間の内堀で囲み。南と西に大門、東と北に通用門を設けていやした。向山から大砲を撃ち込み先制攻撃をし、塀を越え大戸を開けケペール銃を撃ちまくりながら突っ込みやした。

「女、子供に構うな。手向かわぬ者、逃げる者は斬ってはならん」孫一郎はそう叫びながら走りやした。           

「火を放って焼き払え」坂太郎が号令を掛けやした。新介はここは俺の領分とばかり、あっちこっちへと火を点けて回りやした。

 代官桜井久之助は芸州広島へ出張中で留守、手向かう者は一人もおらず、ただただ逃げ惑っていやした。

 戦はすぐに終わりやした。

 紅蓮の炎は、未だ明けやらぬ夜空を焦がし、白壁と土蔵の倉敷を真昼のように照らしていやした。

 新介は汗を拭きながら孫一郎のそばに近寄り、   

「よく燃えますぜ。桜井がおらぬのがなんとも残念、きゃつに一泡吹かせてやりたかつたぜ。あの金の盲者め。なんとも悪運の強い奴ですよね」と舌打ちを致しやした。

  「運ですか・・・」孫一郎は頬を少し歪めていいやした。それは、己の運のなさを計りに掛け、運のないおのれを嘲笑しているようでやした。

「ここで桜井をやってねえと後々面倒な事になりやせんかね。芸州から帰って立石さんの後を追いやすよ。あの野郎、蛇のように執念深い奴でやすから」口を歪めて新介が言いやした。

「うん」と頷き、ぬかったと孫一郎は思いやした。主犯者としては桜井の行動を事前に調 べなくてはならなかったと後悔の念が心に拡がって行きやした。しゃにむに突き進んだ己の短慮を責めやした。

「そう考えなさんな。優しさから出る後悔は今はご破度ですよ。ここまで仕掛けちゃあやるしかありやせんょ。とことん前に進むしかありやせんよ」

「うん」

 孫一郎は隊士達を、鶴形山の中腹にありやす観竜寺で休ませやした。酒の用意を手際良くするのは新介でありやした。庫裡や書院で、また縁側に身を横たえる隊士達のあどけない寝顔を見るにつけ、孫一郎は自分の私恨の為に使ったのではないかと心に問い掛けやした。

「隊長!良かったんですよ。士気を高めるには丁度良かったんですよ。これで、この意気で一気に松山城を攻めましょう。血が沸騰しているときに・・・」坂太郎は孫一郎の顔色が冴えぬのを感じて言いやした。ぼーとしていやした孫一郎は、坂太郎の声で現実に返りやした。そして、次にやらねばならぬことを思い出しやした。孫一郎は気にしていやした。後の人人はこの襲撃を私恨と判断するだろうか。否、断じてそうであっては困る、その為にはこれからの行動が慎重でなくてはならないと思いやした。

「櫛部、高札の用意をしてくれ」

「では、この襲撃の主旨を・・・」

「そうでなくては、隊士達の将来の礎が・・・。万一事が成就せなんだら無頼の徒として葬られることになろう。そして、十五年間過ごした私の・・・」

「分かります。では早速手配いたします」坂太郎は一礼して観竜寺の石段を身軽に駆け下りやした。

 孫一郎は鐘楼に立ち、倉敷村を一望しやした。低い商家のたたずまいがびっしり軒を並べ、倉敷川沿いには緑に揺れる柳が川面に影を落とし、川草が流れに弄れ、四十瀬の土手には葉桜が風に揺れ、遥か彼方の景色の中では白い煙が細く立ち登り、長閑かで当たり前の春の様相を呈していやした。



    倉敷代官  桜井久之助

  右ノ者兼兼奸従ニ同盟シ國害ヲ醸候条下埓ノ至ニ付可加誅

  戮候処此節出陣中ニ付余党ノ者加誅戮仍而本陣今放火者也

            四月    元奇兵隊義士



    倉敷村役人ヘ

  当節ノ形勢ヲモ不顧倫安姑息ノ説ヲ唱ヘ小民困苦ヲ不厭段

  不届ノ至ニ付自今己後屹度戒心申付ケ尚村方規律節整候様

  可仕候事万一等閑致スニ於テ厳科ニ処スベキ者也

            四月    元奇兵隊義士



 孫一郎は、このような高札を倉敷村の要所に立てやした。義士と称しやしたのは若い隊士達がこれから歩む前途への配慮でありやした。孫一郎は何故か空しい心に包まれていやした。だが、そのような感傷に浸っている暇はありやせんでやした。孫一郎は、隊士達が束の間の夢を貪っている間に、巻き添えを喰った村人達の死への喪弔をしに出向かなくてはなりやせんでやした。 孫一郎は下津井屋を襲ったのは私ではないと村人に叫びたい心で一杯でありやしたが、現に代官所を襲った後のこと、誰も耳を傾けては呉ぬだろうと思いやした。

 代官所を焼き討ちにし、村人を縮み上がらせ軍用金を徴収する、それが最初からの計画でありやしたから、中島屋五千両、浜田屋一千両、児島屋五百両と徴発しやした。米、味噌、醤油、漬物等を集めると、もう倉敷には用はありやせんでやした。

 林孚一は孫一郎に笑顔を向けやしたが、それに孫一郎は応えやせんでやした。林を騒動の中に入れてはならない。林にはあくまで、妻と三人の子供達の行く末を見守って貰わなくてはならなかつたからでやした。

 新介が二頭の馬をどこからか調達して来やして、

「立石さんよ、後は巧くやんなよ。敵は外ばかりではありやせんぜ。・・・世話になったが、此の辺りが俺の引き際と言うもんでさぁ」と笑いながら言いやしたが、眼は真剣その物でやした。何かを語り掛けているようでやした。

「新介!」じっと眼を見て言いやした・

「これからの立石さんの動きで、幕府も長州も見え無かった物が見えやすよ。その見えなかった物がどちらに味方するか、それが見物ですがね。俺はそれを今度は外から確りと見させて頂きやすよ」

「新介、お前は何が言いたいのだ」

「俺にはあなたを取り巻く周囲と、日本の揺れている波のうねりが良く分かるんでさぁ。ただそれだけでやすよ。立石さんよ、ここまでくりゃもう後には引けねえ、やるしかねえんですよ」新介は意味ありげな言葉を遺して消えやした。その後ろ姿を喰い入るように孫一郎は見詰めていやした。燕が羽を閉じて急降下をし餌を啄んで消えて行きやした。

 孫一郎と坂太郎は馬上の人になりやした。坂太郎は先頭に立ち紅白の旗を前後に振りやして隊の指揮を取りやした。孫一郎は列の後尾に付いていやしたが、何度も何度も倉敷の方を振り返っていやした。未練と思っても妻子の顔が頭の隅を過ぎりやした。せめて人間として生きたい、それが孫一郎の信念でありやした。この戦は、國民の為のものなのだ。隊士達の行く末を考えてのものなのだと呟き続けていやした。

 隊士達の打ち鳴らす四拍子の洋式太鼓に合わせ、ケペール銃を肩にしやした隊士達の整然とした洋式行軍が続きやした。その後に大砲一門、ケペール銃数十挺、弾薬食料を積んだ荷駄が延々と従っていやした。

 孫一郎が背後に視線を感じやしたのは、浜の茶屋の辺りでやした。孫一郎は振り返りやした。田地の畔の上で、姥のお照に連れられやした三人の子供達がじっと熱い視線を投げかけていやした。孫一郎は馬より下りやしてその方に歩みよりやした。兵介は馬の手綱を取り孫一郎の行動を眼で追いやした。孫一郎は、三人の子供達の瞳に光る涙を見やして、不覚にも泪がこぼれ言葉が喉に詰まりやした。蛙が畝で跳ねやした。孫一郎は一言も言わずに馬に飛乗り、先頭を行く坂太郎の方へ急ぎやした。

 四月十一日の夜、備中井山宝福寺の書院で孫一郎と坂太郎が対座していやした。 

「これから直ぐにでも松山へ向けて進みますか」

「うん」孫一郎は気のない返事をしやした。

「蒔田藩の浅尾陣屋から早く出て行けとの要請を隊長はどのように・・・」

「うん」

「とにかく明日にでも松山へ向けて発ちましょう。岡山藩がどう動くか分かりませんが、松山勢との挟み討ちにされたのでは叶いません」

 孫一郎の煮え切らない返事に、苦り切ったような顔の坂太郎が次々と言葉をぶつけやした。何を言っても「うん」としか返らないのでやすから、豆腐に釘、頼り無いったら有りゃしやせん。その上、何を考えていやすのか、

「静かだなあ」との言葉を落とすのでやすから、坂太郎がカッカと来るのも当たり前でやしょう。

「隊長、隊士達の滾っている血を冷ませてはなりません。もう同士等当てにはなりません。ここらで決断を。足守、庭瀬がどのように動こうが問題ではありませんが、岡山藩が・・・」

「その、岡山藩がどらように動くか知りたいのう」ぽっりと孫一郎が言いやした。

「はぁ・・・」坂太郎は一瞬孫一郎の顔を見やしたが、直ぐに視線を伏せやした。

 岡山藩は幕府の下命によりやして三千の兵を領界線の山手から総社に懸けて出していやしたが、立石達に対しては無視を決めこんでやした。

「その岡山藩が・・・。ですから、一刻も早くこの宝福寺を出て松山へ向かいましょう」坂太郎が心の波を押さえるように言いやした。

 孫一郎はすっくと立つて障子を開けやした。樹齢何百年と言う大木が何本と夜空を突いていやした。篝火が境内を照らし、しじまを警護の隊士達の足音が振るわせおりやした。「よし!明日出発う」孫一郎は振り向かずに静かに言葉を吐きやした。

 孫一郎にとっては宝福寺の静寂が不気味でやした。それはこれから先を暗示したいるかのように思えやした。本当にこれで良いのか。倉敷代官所襲撃により初期の目的は達したが、意地は通せたが、隊士達に取っては果たして良かったのか。己は三十五歳、何時死んでも構わぬが、若い者にはやりたい事、遺したい事、があるだろう。その道を開いてやらねばならない。それにはここ迄来た以上、松山城を攻め落とすしか残されてはいない。この二日間、同士を待ったが立ち挙がっては呉ない。孫一郎は色々の迷いの道に入っていたのでやした。

 庭の鹿脅し音が静謐の空気を破り「カン」と鳴りやした。その音で、孫一郎は振り向き「松山へ向かおう」と力強く言いやした。

 孫一郎の長考に業を煮やしていやした坂太郎はその声にほっといたしやした。

「では、後の指示は私めが」

「うん。疲れた、少し眠る」孫一郎はその場にごろんと横になりやした。

 坂太郎は障子の外に声を掛けやした。兵介の声が障子を振るわせやした。そして、

「失礼いたしまし」と言い開けて入って来やした。横になる孫一郎の大きな背を喰い入るように眺めやした。

「隊は明日出発つする。そちは五名の部下を連れここに残れ。同士を待って松山へ来い。隊長は高梁川ぞいを、私は裏街道を抜け松山へ向かう」

「私も隊長と御一緒させて下さい」

「同士を待って案内をせい。隊長の檄だ」

「は!」兵介は平服しやしたが、眼は孫一郎の姿を捕らえていやした。一体隊長はどうしたんだろうか。今の隊長は気が抜けたようだ。最初から乗り気ではなかったのではなかろうかと思いやした。

「兵介、このことは他言は無用。人選は私がする。少し休め、私も休む」

「は・・・」兵介は頭を下げて書院を出、音を発てないように閉めようとした障子がカタンと鳴りやした。

  隊士達は安息を貪っていやした。夢の中で古里のことどもを想い起こしているだろうと、孫一郎はそのあどけない寝顔から想像していやした。

 井山に連らなって東に一里の所に桃太郎伝説で有名な鬼の城がありやす。つまり、この地方を統持した温羅一族が居た所でやすが、今では城跡を忍ぶ石垣と一枚の大岩しか残っていやせんが、当時を偲ぶ縁にはなりやすよ。その嘗ての吉備大国の地は朝が来ようとしていやした。

 孫一郎は講堂で坐禅を組んでいやした。書院で少し横になりやしたが、眠れないままここに来たのでやした。孫一郎は懸命に雑念を払おうとしていやした。それは蠅のように追っても追っても直ぐ瞼の裏に止まりやした。

ー一体なにがどのように変わると言うのか。己は無謀な事を、無意味な事をしているの

ではないか、それも、純粋な若者を道ずれにして、心を弄んで。だがもう後には引けぬ。信じて付いて来てくれる隊士達の事を思えば、今、迷いの道を彷徨ていてはいけないのだ。もう同士は当てにはならない。所詮人間流れの中で生きるだけなのかも知れない。その流れはもう流れ始め、その渦の中に身を置いているのだ。逆らえないほどの大きな流れにしてしまったのは自分自身なのだ。なるようになる、自然の摂理と、淘汰に委ねるしかないと言うのか。おのが短慮が・・・。否、これで良いのだ。これから松山城を攻め落とすことが最善なのだ、そうせいでは隊士達の前途はないのだー

 孫一郎は輪廻のようにめくりめく想いに翻され、それと闘っていやした。

「隊長!」兵介が真っ赤な眼をして叫びやした。 

「うん」孫一郎は躰一つ動かさず応えやした。眸は確りと瞠っていやした。

「松山を落とせるとお思いですか」

「いや、分からん」

「では・・・」兵介は縋るような眼の輝きで言いやした。

「兵介、そうせかすな。・・・駄目だと分かっていても、筋目を通さなくてはならん時があるものだ。命をも落とさなくてはならん時もある」そう言って兵介の方に向いた孫一郎の眸は弱々しく光、額に落ちたほつれ毛が白く見えやした。

「それは分かりやすが・・・」

「兵介、私は隊士百数十名の命を預かる者として、生きる場所か、死に場所を与えてやらなくてはならぬ立場に居るのだ」

「隊長、ここを引き払い、瀬戸内海に出て北海道へ行きましょう。隊長、もうこれ以上の命のやりとりは・・・。倉敷だけで十分です」

 兵介は、長州がもう帰るべき古里ではないことを知っていやした。

「兵介、・・・決めた事なのだ」孫一郎の声は飽くまでも静でやした。

「いいえ、松山を落とすことは至難の技です。それは即ち死です」

「・・・どちらも辛い、生きることも死ぬことも」

「その内、時代も変わりましょうから・・・」

「そうだなぁ、私達はただの捨て石になるかも知れんのう」

「はい、だから、北海道でその時を待ちましょう」

「お前も大きくなったのう。だがのう、兵介の思いを踏み躙るようだが、もう動きだしておる」孫一郎は、兵介の真剣な眸差しに見詰められやして眩しくなり、天井を眺めやした。

「兵介、私は今まで流れに逆らわぬ生き方をして来たが、いつの間にかその流れに逆らっているらしい」

「隊長は人を信じ過ぎます。やさし過ぎます」

「やさしいか、優しさでは人は救えんか、溺れてしまってのう。だがのう、信じることと優しさがいつの日にか必要な日が来ると思いたいのう」孫一郎は自嘲しやした。





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